カレー。

コーノ家では日曜の夜と言えば『カレー』だった。
親父の好みなのか、母親が面倒だからなのかは分からないけれど、
サザエさん観ながらカレー」ってのが日曜日の原風景だ。
別に特別な思い出があるわけじゃないけれど、それ自体が強烈な印象で残っている。


だからなのか、現コーノ家でも日曜はカレーが多い。
俺が休みで料理当番の時のみだけれど、もしかして無意識に刷り込みに従って
作ってしまっているのだろうか?


その大体は『分岐カレー』だ。
『分岐カレー』は「今日はカレーを作るぞ!」って作り始めるのではなくて、
土曜日の夜に「肉じゃが」を大量に作って、その半分が「肉じゃが」から姿を変え、
あれやこれやが追加されて『カレー』となる。そんな「カレー」のことだ。
ちなみに今夜のカレーは「おでん」からの『分岐カレー』。
タネは食べてしまったけれど、大量にイイ「だし」がでたスープが残ったので、
そこから分岐して『和風ベースの分岐カレー』とあいなった。


この『分岐カレー』はその特性から幾ら美味く出来ても2度と同じ味で作れない。
大体からして、その時、その場にある使えそうなモノを放り込むから、
まあ分岐してなくても2度と作れないのだけれど。ともかく「一期一会」のカレーである。
今日も、赤ワインが切れていて、甘みの為のりんごもなくて、なので冷蔵庫にあった「サングリア」を投入した。
次にカレーを作ったときに「サングリア」が冷蔵庫にある確率なんて限りなくゼロに近いだろう。


そんなメチャクチャなレシピでも「カレー粉」を投入すると『カレー』になるからスゲー。感心。
っていうか、ほとほと呆れる。そこまでの味付けとか関係なく最終的にカレーになるのだから。
「一体、今までの件は何だったんだ???」っていう最後に500点もらえる逆転クイズ最終問題みたいなもんだ。
全てを呑み込み、そこまでの過程も関係なく結局『カレー』にしてしまう、恐るべき調味料「カレー粉」だ。


ここ最近は仕事で「カレー粉」を作っていた。
食品会社に転職したワケでなく、今の会社で「カレー粉」を、というかモノの喩えだ。


材料ははどんどん変わるし、作り方も料理人もどんどん変わる。
これがここ最近の事情にあった仕事のスタイルなんだが、さすがにこのまま行くと
「注文されたのはカレーなんだけど、カレー以外の料理が出来てしまって提供する」ってコトになりかねない。
と危惧することがあったのがキッカケ。


なので、材料は高級品でもなんでも、いけそうなモノを使って、手順なんてセオリーなくて、
その時、その時の一番適したやり方で料理して、それで例え料理する人が変わったとしても、
この「カレー粉」さえ使えば、最終的には『ウチの味のカレー』になりますよ。ってなもんで、
そういう「カレー粉」を昔ながらの料理人達と作ってたわけだ。


こういう試みは今までの仕事の中では初めてで、「モノとしてキッチリ残す」のは新鮮だった。
まあそれだけキッチリとしたイメージが皆の中にあったからだけれど、なかなか深みとコクのあるものが作れたと思う。
是非ともこの『カレー粉』を美味く使って若い料理人には頑張ってもらいたいもんだ。



いい加減、料理と仕事を絡めて語るのはやめよう。
自分で思うほど面白くないし、伝わりにくい。


伝える為の日記ではないから別に気にする必要はないのだけれど、
たまたまカレーを煮込むときにボーっと考えたコトを日記にしてみたのだ。


さあ、明日は一日寝かして熟したカレーを食べよう。



今週の買い物:シマトネリコ×1